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横浜地方裁判所 昭和59年(ワ)2457号 判決

原告

井口万次郎

右訴訟代理人弁護士

高橋利明

田岡浩之

被告

松崎壽一

右訴訟代理人弁護士

田中和

西山鈴子

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告との間において、原告が別紙物件目録記載の土地につき、昭和五八年一二月一日から期間二〇年間の借地権を有することを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件土地の所有関係

被告の先代故松崎太郎(以下「太郎」という。)は、旧横浜市中区本牧和田一四一番宅地一六一八・一四平方メートル(四八九・四九坪)を所有していたところ、同土地は昭和四四年三月六日、同所一四一番一宅地五九八・五八平方メートル(別紙物件目録記載の土地、以下「本件土地」という。)、同番二宅地一〇一九・五五平方メートルに分筆され、右同番二の土地は、昭和四四年三月二六日、太郎から国(総理府)に売渡された。太郎は昭和五七年一月二八日死亡し、被告が相続により本件土地の所有権を取得した。

2  本件借地権の存在

原告は、太郎との間で、旧一四一番の土地につき、いずれも建物所有目的で、昭和二一年三月一日、うち二三七・九六平方メートル(七二坪)を地代一ケ月あたり二一円六〇銭(坪三〇銭)として借り受け、一年分の地代を支払い、同二二年三月、更に六六一平方メートル(二〇〇坪)に借り増しして、いずれもその引渡しを受け(以下「本件借地権」という。)、同年五月中旬ころ、同地上の本件土地部分に木造住宅(建坪七坪七合五勺、以下「本件建物」という。)を建築した。

3  本件土地の接収

ところが、その直後本件土地を含む旧本牧和田一四一番の土地は、本件借地及び本件建物と共にアメリカ合衆国軍隊により接収された。

4  接収地の返還

アメリカ合衆国軍隊は、本件土地を同軍関係者の住宅等として使用していたが、同五七年三月三一日、米軍から防衛施設庁に対し返還され、同五八年一〇月一三日、接収不動産に関する借地借家臨時処理法(以下「接収不動産法」という。)二四条による接収解除公告がなされた(掲載官報の発行日は同月一二日)。

5  賃借の申出及び拒絶

原告は接収不動産法三条一項に基づき、昭和五八年一一月二八日付同月三〇日到達の内容証明郵便により、被告に対し、本件土地につき借地権設定の申出をなしたが、被告は、昭和五九年一月一一日、右申出を拒絶した。

6  結語

よつて、原告は被告に対し、本件土地の借地権の確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、太郎が旧一四一番地の土地を所有していたことを認める。

2  同2の事実を否認する。

3  同3の事実は昭和二二年五月中ころ、本件土地を含む旧本牧和田一四一番の土地が接収されたことを認め、その余を否認する。

4  同4及び5の事実を認める。

三  仮定抗弁(賃借申出拒絶の正当事由)

仮に原告が本件土地上に借地権を有するとしても、被告は、東京都品川区西五反田のビルを賃借し株式会社インテリヤマツザキを経営するものであるが、本件土地を右事業のための展示用店舗、倉庫及び社員用社宅の敷地として使用する必要があるほか、その一部に長男祐一の居宅を建築する必要が存する。

四  抗弁に対する認否争う。

原告は本件借地権を何らの対価なしに接収された。

一方、土地の所有者は、接収自体はその意思にかかわらないものであつても、接収中も賃料は補償されており、かつまた接収解除後において、従前借地権の負担が存した土地を更地として返還を受けるのでは極めて公平を欠くこととなる。接収不動産法三条一項はこのような不公平を是正し、旧時の借地人を保護しようとするものである。従つて、原告の借地権は回復されるべきものであることは明らかである。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1(本件土地の所有関係)の事実のうち

太郎が旧本牧和田一四一番の土地を所有していたことは当事者間に争いがなく、その余は被告の明らかに争わないところであるから自白したものとみなす。

また、同3(本件土地の接収)の事実のうち本件土地を含む旧本牧和田一四一番の土地が昭和二二年五月中ころアメリカ合衆国軍隊により接収されたこと、同4(接収地返還)及び5(賃借の申出及び拒絶)の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二そして、同2(本件借地権の存在)の事実

(但し、後記のとおり本件借地が被告所有の本件土地に属することを除く。)及び同3の事実のうち、原告が太郎所有の旧本牧和田一四一番の土地のうちの二〇〇坪を借地し、同地上に本件建物を建築所有していたことは、〈証拠〉によりこれを認めることができ、右認定に牴触する〈証拠〉は、にわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

しかしながら、全証拠によるも原告が太郎からの本件借地の位置が被告所有の本件土地に属するか、また分筆後の国所有の同番二の土地に属するかは必ずしも確定し難い。

してみると、被告所有の本件土地に接収当時賃借権を有するとする原告の主張は認め難いといわざるを得ない。

三仮定抗弁(賃借申出拒絶の正当事由)について

しかしながら事案に鑑み、仮に原告が本件土地に原告主張のとおり借地権を有しているとした場合、被告に原告の貸借申出を拒絶する正当事由があるか否かについて検討する。

1  〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠は存しない。

(一)(1)  原告一家(妻サク、長男頴一)は、もと横浜市中区元浜町で借家住まいしていたところ、右借家は昭和二〇年五月二九日の横浜大空襲により焼失し、一時川崎市の親戚に身を寄せていたが、同年八月一五日の終戦直後ころ、渋谷権蔵から中区間門町一丁目に約二〇〇坪を借地して同地上に建築した簡易住宅に転居し、また同時に前記のように昭和二一年三月から翌同二二年三月ころにかけて太郎からも旧本牧和田一四一番の土地のうち二〇〇坪を借地し同地上に木造住宅を建築したこと、しかし昭和二二年三月ないし五月にかけて右間門町一丁目の土地建物、次に太郎所有の旧一四一番の土地及び同地上の原告所有建物が相次いで接収されたため、やむなく急拠空地となつていた現住所の石田吉蔵所有の中区本牧町二丁目四五三番の土地の一角にバラックを建てて転居し、後日に至り石田吉蔵との間で右土地の約六五坪について正式に借地契約を締結して現在に至つていること、

(2)  原告は、前記空襲による罹災時は中区海岸通二丁目の借店舗で飲食店を経営していたが、罹災後は閉店し、戦後約八年間米軍兵舎のコックをし、その後は中区本郷町二丁目の借店舗で一人で天婦羅屋を経営していること、

(3)  原告の家族は、昭和三一年一月に妻サクが死亡し、現在は長男頴一(昭和一七年二月生れで福祉関係の仕事に従事)夫婦と孫二人の五人家族で、前記石田吉蔵からの借地上にある長男名義の居宅に居住していること、右建物は、築後約八年と新しく、建坪は約二五坪で、間取りも一階六畳二間、二階六畳、四畳半各一間で原告家族が居住するには不便を感じる程の狭さではないが、原告は、右建物が崖下にあつて日照条件が悪いため、本件土地への転居を希望していること

(二)(1)  ところが、原告が一家で転居を予定している本件土地及びその附近一帯は、横浜国際港都建設事業新本牧地区土地区画整理事業(施行者横浜市長)の施行区域内にあつて、各土地所有者の土地利用の意向をも容れて計画が立案され、これに沿つてそのための換地計画が現に実施に移されており、被告には本件土地ほかの従前地に対し低層住宅地区において約四〇〇坪の仮換地の指定が早暁予定されていること、

(2)  ところで被告を含む太郎一家(八人家族)は、戦前前記旧本牧和田一四一番の土地の隣地である同所一四〇番の土地に居住していて前記空襲により罹災し、同土地の一角にあつた祖父彦蔵(昭和三一年九月死亡)の農作業小屋で生活していたが、やがて前記同様接収を受け、一家は中区本牧一丁目に転居し、その後被告肩書住所の中区本牧三之谷の借地に転居して今日に至つたこと、なお、右太郎は昭和四〇年に有志と接収地解除促進同盟を結成して自ら会長となり、死亡時まで接収地解除の運動に当つていたこと、

(3)  被告は、現在夫婦と長男の三人家族で右借地住いをしているが、長男は二五才と結婚適齢期で結婚後も父母である被告夫婦との同居を望んでおり、また被告は、従業員一一名、年商三億ないし三億五〇〇〇万円の株式会社インテリヤマツザキを経営しているが、同社の従業員の住宅事情は必ずしも良好ではなく、被告としては本件土地を含む従前地に対して予定されている右四〇〇坪の仮換地ひいて換地予定地が回復されれば、同所に長男と同居できる自宅と社員寮の建築を計画していること

2 ところで接収不動産法三条四項所定の、土地所有者が借地人からの正当な敷地賃借申出に対し、これを拒絶しうる「正当事由」の有無は、土地所有者及び賃借申出人がそれぞれその土地の使用を必要とする程度如何は勿論のこと、双方の側に存するその他の諸般の事情も総合して判断すべきものではあるが、具体的には同法が戦後復興を目的とする罹炎都市借地借家臨時処理法(昭和二一年八月二七日法律一三号)による罹災地の借地人の保護との権衡上、接収地の旧借地人を保護するため制定されたものであり、そこには戦後同法の施行当時の劣悪な住宅事情下における接収者の住居等の安定確保と接収解除地の復興促進の要請があるが本件は同法施行から約三〇年近くも経過した後に接収解除がなされ、しかも現在では本件土地の存する横浜市周辺の住宅事情は同法施行当時では予想できなかつた程に大幅に改善されていることは公知の事実であつて、もはや同法の前記要請も極めて薄らいだものといわざるをえないし、また賃借申出人は賃借していた接収地を離れて既に四〇年余を経過し、居住環境もそれなりに安定しているという状況下にあることもを考慮して判断するのが相当である。

したがつて以下かかる観点から原告の本件土地の賃借申出に対する被告の拒絶の正当事由の有無につき考える。

3  そこでこれを本件についてみるに、原告は被告先代から賃借していた旧本牧和田一四一番の土地の一部二〇〇坪の接収後直ちに現住所に転居して以来四〇年近くもの長期に亘り、約六五坪の借地に一家の家族構成等に照らし左程遜色のない住宅を建築所有して生活の基盤を確立していて、より良好な住環境を確保しようという希望を持つているものの、今直ちに本件土地(しいてその仮換地ないし換地予定地)上に借地権を回復しなければならない客観的差し迫つた必要性を認め難い一方、被告は戦災それに引続く接収によつて他への借地は勿論、自己使用の所有地の支配を奪われ、爾来借地住いを余儀なくされ、しかも接収解除後の本件土地を含む周辺土地は被告ら所有者の土地利用の意向を容れつつ都市計画が立案実施され、早暁その一部を仮換地ひいて本換地として指定を受けることが予定され、被告においても同地上に自宅等の建築を計画しているのであつて、しかるときは、被告の自己使用の必要性は原告のそれに優越するものとして、被告には右正当の事由が肯定されるというべきである。

したがつて、本件土地について被告が原告に対してなした賃借申出拒絶は接収不動産法三条四項の「正当事由」ある場合と言え、原告の賃借申出によつて原告には借地権を取得すべき効果は生じない。

4  なお、原告は、旧時の借地人が接収地の借地権を何らの対価なしに接収されたにもかかわらず、接収地の所有者が接収中賃料を補償されたうえで、接収解除後更地として接収地の返還を受けるのでは極めて公平を欠く旨主張するが、右所有者に対する接収中の賃料補償も、旧時の借地人の出捐においてなされているわけではないのみならず、接収不動産法は前記のように本来接収中に借地借家契約が終了する不利益を接収解除後の双方の事情を総合考慮して接収地の地主に当該土地を自己使用する等正当な事由がある場合に限つて借地申出の拒絶を認める法意であるから、地主側に正当の事由を肯定した結果として借地借家人が接収を解除された土地に借地権を回復できない事態となり、ひいて地主が更地として当該土地の返還を受ける事態となつても、それは同法の予定した事態であつて、これをもつて、接収地の借地人と所有者間に公平を欠くものと非難するのは当たらない。原告の右主張は失当である。

四  以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山口和男 裁判官櫻井登美雄 裁判官小林元二)

物件目録

横浜市中区本牧和田所在

地番 一四一番一

地目 宅地

地積 五九八・五八平方メートル

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